丁寧に暮らすってどうすればいいんだろう。
って思って日々生きています。
もっと言えば、みんなはどういう風に暮らしているんだろうと思って日々過ごしています。
漠然としてませんか?「丁寧に」って。
どこをどう切り取って、その切り取った部分をどの程度「丁寧に」と言っていいのか。
ただただ漠然と憧れているんです、「丁寧に暮らす」という人間像に。
不完全な家庭環境で育った高卒アラフィフとしてここまで生きてきて
修正の余地はあったかもしれないけれど、生まれ育った環境って少なからず左右するんだっていう言い訳はさせてほしいんです。
みんなの中の丁寧の基準
人それぞれの「丁寧」があると思うんですよ。
それが例えば、家族の誰よりも早く起きて家族のためにお弁当を作るだとか
朝起きて必ず植物に水をやり、緑に語りかけるだとか、
朝ご飯はかならずご飯とお味噌汁を食べていますだったり、
そのお味噌が手作りだったりなんかした日にはもう眩しすぎて同じ空気吸える気がしない。僻みマックスで消えてしまいたくなる。
知り合いでなめ茸を自分で作る人がいたんですよ。
それを目の当たりにした時の衝撃、いまでも忘れられないぐらいです。知ってました?なめ茸が手作りできるなんて。
そのなめ茸事件以来、世の中の人の丁寧ってどんなことがあるんだろうという疑問が拭えないんです。
おおざっぱで面倒くさがりで不完全家庭環境育ちのわたしは、いわゆる「ちゃんとしたこと」の経験値がめちゃめちゃ少ないのは自覚してます。
たとえば、毎日掃除機をかける、だとか
朝ご飯は家族そろって食べる、たとか
あとは、なにがあるっけ… そう、それぐらいに「ちゃんとしたこと」の引き出しが少ない。
CMに対する強迫観念
強迫観念とは、頭から離れない考えのことで、その内容が「不合理」だとわかっていても、頭から追い払うことができません。
厚生労働省
例えば住宅メーカーのCM見てたら、家の中もめちゃめちゃきれいに片付いて、
観葉植物も青々としていて、
料理はコトコトおしゃれな鍋で家族のためにお母さんが愛情たっぷりに手間暇かけて手料理。
コーヒーなんかもキッチンカウンターで、それこそケメックスとか使っちゃって、しゃれたコーヒーポットで丁寧に一杯ずつ淹れておしゃれに飲んじゃって、
お酒なんて飲もうもんならなんならバーカウンターかい!ってツッコミたくなるぐらいにおしゃれリビングで飲んでて、酒の肴だって、袋からダイレクトでスルメとか絶対食べてない。
食べてるとしても、きっと伍魚福とかの高級アテだよね。
生活廃棄物ださずにどうやって生きていくの?
そんなマメにきれいに暮らせる?
だって日々生活してるとゴミが出るのよ?洗い物が出るのよ?匂いも出るのよ?キッチン使ったら汚れるのよ?
みんな同じ人間なはずなのに、あんなに丁寧に整った暮らしできないわたしは失格?
その1ミリもできてない自分は恥ずかしい人間?大丈夫?って強迫観念すら抱いちゃう。
でも、そんな感情、持っちゃダメですよね。
だって庶民が国を下支えしてるんだもの。
だって庶民が毎日毎日、電車に揺られ出勤して、
面倒で決してカッコよくはない部分を担っているからこの国に住む国民の生活が保たれているんだもの。
第一次産業しかり、物流しかり、販売しかり、交通網しかり。
でも、それもこれもやっぱり憧れているからこその悪態。
憧れますよね、丁寧な暮らし。なんか心の余裕があふれ出ている感。
そういえば、何が足りないって心の余裕がないのかもしれないな。それだ。丁寧ってそれだ。
CMやドラマの中のお母さんたち、いつも子供にマリア様のような微笑みを投げかけてる。
ザ・穏やか。
あんなの無理よ。なりたかったけど。なりたかったですけど。
現実は「早くしなさーーーい!」「何度言わせるのーーーー!」で大声を張り上げる毎日ですよ。
できること探すところから
もうアラフィフにもなってそっからかーい、ってなりますけど
三つ子の魂百までって言うように、本質、そんなに変わんないんですよ。
小学生の頃に不完全な家庭の子となったわたしはその頃から学校はさぼりまくり、遅刻しまくりの人生で
そのまま高校までその調子。
起こしてくれる人もいなければ咎める人もいない。
仕方なかったと思ってます。これはもうかわいそうな範疇です。
そう思って自分を慰めてきました。
話はそれましたけど、なので朝はめっぽう弱いです。
朝ちゃんと起きるという回路は早いうちにバグが出ました。
仕事をするようになってどうにかこうにか朝起きてますけど
毎日判を押したようにギリギリ番長。
そこ、判を押したように行けるならあと30分早くに判を押す生活に変えれそうなもんなのに、できないのが人間の愚かなとこですよね。
できたら苦労せんわ、ってわたしの中のバグライトイヤーが。
でも、ブログも始めたことだし、人生100年あるならまだやっと折り返しだし(長いな…)
折り返しだと思えば、変える価値はあるじゃないの。
みんなが困ってるからこそ言葉が生まれる
「朝活」という言葉がもうすっかり定着しているけど、
そもそもわざわざの「朝活」という固有名詞として誕生させるということは、
すなわち、わざわざの固有名詞にしないと奮い立たせられない人々が多勢だということの表れ。
そう思うと、なーんだ、みんな心の中にバグライトイヤー飼ってるんじゃん、って気持ちが大きくなって
じゃぁ、できなくてもいっかー
じゃなくて、そうじゃなくて
できない自分を「だってだって」と蔑むのではなく
できない自分が劣っているんじゃなくて、できたら、それは逆にすごいんだぜ!偉いんだぜ!って褒めてあげるチャンスってことなんですよね。
朝起きて時間を作る。
1日24時間と決まっていて出勤時間が決まっている今の生活スタイルで作り出せる時間がどこにハマるか。
それならやっぱり、今のところ朝だね。
人それぞれのライフスタイル、家族それぞれとの時間との兼ね合いで
何かしら自分のために使える時間を確保する。
1日の1%は15分らしいので
1%だけ自分のために早起き。できそうな気がする。
結論:丁寧は1日1%の早起きで作れる。
15分、何しようかなって考えるのも楽しいかもね。
ただボーっとするのもありだな。
朝コーヒーを淹れてただただボーっと外を眺めながら飲む。
あ、めっちゃ丁寧な暮らしっぽい!