ここのところ連日、社内で誰かが最終出勤日を迎え、毎日のようにお別れの夕礼が行われていて、そのたびに「いいなぁ、私も見送られる側になりたいなぁ」なんて思います。
最終出勤の人の事情はそれぞれ
転勤で異動していく人、家族の転勤で退職する人、異動辞令を機に早期退職する人、そして新たな仕事を求めて退職する人。
わたしは非正規雇用枠なので「転勤」はありえないから見送られるとしたら純粋に「退職」になるんだけど、その退職するための次の仕事がなかなか見つからなくて途方に暮れる日々。
リクルートエージェント、エン転職、doda(デューダ)、マイナビ転職、ミイダス、Indeed求人、以上6つのアプリを入れて求人を探しまくってるけど、11月に仕事を探し始めて応募した企業は約50社。うち、面接までこぎつけたのはなんと1社。厳しい…
わかってる、わかってるんです、高卒アラフィフスキルなし。これがどれだけ市場価値が低いのか。でも今の職場では満足できないから動くしかないんです。
結局人生、動くか、動かないかだけの違い
話はそれましたけど、その「新たな仕事を求めて退職」した人は以前に話をした手取り12万でこの仕事できますかというお話しの時の彼女なんだけど。
彼女もわたしと同じ非正規雇用だけどまだ30代で大卒で、次は正社員でという条件で職を見つけ退職に至ったんですけどね、それは本当に心から祝福していて、うーん、祝福とはなんか違うな。とにかく大賛成。心から応援してるんです。とても寂しい別れではあるけれど彼女の前途が幸あるものになることを心から願ってお別れしてきました。
その非正規の彼女のもとに支店長が直々に「餞別」を渡しに来られて、すぐ近くで話をしていたんだけどあまり聞き取れなくて、でも何度も何度も「残念です。」という言葉が聞えてくる。しかもその場だけでサラッと話を終わらせるのではなく、意外と長い。意外と長い立ち話。在職中、まったくと言ってもいいぐらいに接点のなかった支店長と非正規雇用社員という関係性なのになにをそんなに話すことができるんだろう。
そこにわたしはひたすら関心しきりだったんだけど
その数時間後、彼女を見送るための夕礼が始まり直属の上司からはなむけの言葉が送られ、彼女からの最後の挨拶が語られ夕礼が終わった後、直属ではない別の課長から個別に彼女に声がかけられたんです。
直属ではない上司なのにそれもまた長かった。なんなら支店長よりも全然長かった。また再び「何をそんなに話すことができるんだろう」という疑問がわいたんですよ。
何をそんなに話すことがあるんだろう、ではなく、何をそんなに話すことができるんだろう。というところがポイントなんです。
わたし、思ったんです。というか、知ってしまったんです。この二人の共通点。
できる人は直接の挨拶を疎かにしない
この二人、方や言わずもがな、職場の長の支店長。推定年齢50歳前半。もう一方の直属ではない課長、めちゃめちゃ仕事できる系将来の有望株。スマートに仕事をこなす部下にも慕われる確実に着々と出世していくやん絶対ってみんなが思っている課長。推定年齢30代後半。(ちなみにその出世着々課長と同列役席のうちの上司は55歳)
結局はね、じゃんじゃん出世している(していく)この二人が声をかけているということなんですよ。
そこができるかどうかなんですよ。
直接的な関わりがなかったとは言え、お礼が言える。
- 仕事はどんなことも誰かの仕事の上で成り立つ
- 横のつながりだったり、縦のつながりだったり。それを疎かにしない。
- そこに感謝を述べることを疎かにしない。
- 人が宝だという価値観を行動に移せる。
きっとそこが出世していくか否かの差なのかもしれない。
ともすれば「ありがとうございました。お元気で。お世話になりました。」だけで終わりそうな関係だとしても、あえて相手との共通点を探し、相手の見ている方向を一緒に見て、相手の視線から言葉を選ぶ。そして相手を敬い感謝する。
それぐらい今更すぎん?って内容かもしれないけど、結局これを実行している人が、実行できている人が何人いるだろう。わたしもちょっと気恥しかったり、ちょっとめんどくさかったりで蔑ろにしてきた挨拶がいくつもある。
あぁ、そのいくつもの蔑ろにしてきた挨拶をちゃんとやっていたのなら、今こんな低賃金で働いていないのではないかという紛れもない後悔。ぁぁ後悔ってほんと悔しい。
でもぶっちゃけ挨拶ってお金かからないもんね。
低所得で働くわたしにすぐにでも実践できる高所得への第一歩と考えて明日からでもできちゃうライフハックなのでは?
メンションへのレスポンスは早いに限る。
早飯、早風呂、芸のうち!ってね。